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S30 Fairledy 240Z


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■技術の日産

 日産自動車株式会社は、トヨタと並ぶ、日本で第2位の自動車
メーカーです。東京都中央区に本社があり通称「日産」とよばれ、
英語では「NISSAN」または、「Nissan Motor Co., Ltd. 」となります。


 かつて「技術の日産」といわれたように、先進技術の利用に積極的で、
戦前はゼネラルモーターズの技術導入を、戦後はオースチン車の
ノックダウン生産を行い、海外の技術取得に関して積極的なメーカー
です。


 現在は、フランスのルノー社の傘下にあり。関連会社にトラック
部門の日産ディーゼル工業(ボルボに売却)や、モータースポーツ
関連のニスモなどがあります。

 また、歴史的経緯(日産コンツェルン)から日立製作所と深い関係に
あり、日産車には多くの日立製電装品が採用されています。


 1966年にプリンス自動車工業株式会社と合併し、同社の高度な
技術を吸収したことで「技術の日産」と呼ばれるようになります。


皇室専用車 ニッサンロイヤルプリンス


 1999年にフランスのルノーと資本提携を結びました。そして、
ルノーの副社長だったカルロス・ゴーン氏が社長に就任し、日産は
大変革を遂げることになります。

                         
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☆ 日産のロゴマークについて

 日産自動車のロゴマークは、「ダットサン」で使用されていたもので、
吉崎亮造(よしざき りょうぞう)と田中常三郎(たなかじょうざぶろう)が
アメリカのシボレー社のマークをヒントに日の丸と太陽をベースに空を
モチーフとしたコバルトブルーをいれ、真ん中に白文字で「DATSUN」と
書かれていたものがもとになっています。


 それから、文字をカタカナで「ニッサン」と書き直し、戦後、日産自動車の
みの社紋としてローマ字の「NISSAN」となりました。


 創業50周年となる1983年に米ペンタグラム社が制作したロゴ
マークと指定フォントとなり、さらに1999年以降のルノーとの提携後、
デザインが社内で募集され、より立体的なものへと変更され現在の
ロゴとなりました。



 
赤・白・青は、「トリコロール」と呼ばれ日産自動車のカラーとなって
います。


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 会社の沿革を、以下に簡単に説明しますと、1926年に「実用自動車
製造株式会社」と「快進社自働車工場」が合併し、「ダット自動車製造
(本社:大阪)」を創設しました。


 さらに1932年には、「ダットサン商会」となりダットサンのブランドが
誕生します。 そして、1934年6月1日に日産自動車株式会社に改名
しました。創設者は戸畑鋳物株式会社社長の鮎川義介でした。


 1966年に名車スカイライン、グロリアを持つ「プリンス自動車工業
株式会社」(旧中島飛行機の関連会社冨士精密工業の後身)と合併
します。


 1999年3月に、フランスのルノーと提携し、事実上のルノー傘下と
なり現在にいたります。


 日産自動車は、日本におけるモータースポーツのパイオニアであり、
国内だけでなく海外でも様々なレースに参加して、数々の実績を積み
上げ、高い技術力を示しています。

 また、かつては「ラリーの日産」とも言われており、日本のメーカーの
中でも最も古くから多くのラリーに参加しています。

 また、ラリーだけではなくレースにおいても日産は、輝かしい戦歴を
残しています。

 1963年に開催された第1回日本グランプリにおいて、ダットサン
スポーツが優勝しています。

 1964年の第2回日本グランプリで、S54B型スカイライン(プリンス
自動車)がレーサー生沢徹によって、レーサー式場壮吉のポルシェ
904を1周だけリードしたことは、今でも伝説に残る逸話です。


S54B型 スカイライン 2000GTーB

  歴代のブルーバードで、特に510型は、傑出した設計と性能で、
その設計の確かさは、時代を超えた今となっても色あせることが、
ありません。

 特に足回りのフロント・マックファーソン・ストラットとリヤ・セミトレー
ニング・アームのサスペンションの組み合わせは、足回りの設計に
関して、現代の定番ともいえます。

 そして、新たに設計されたL型エンジンは、堅牢で洗練されたOHC
機構を採用し、その後長く日産の主幹エンジンとして、利用されました。

 この510型のブルーバードSSS(スリーエス、スーパー・スポーツ・
セダンの意味)は、特にサファリラリーで大活躍して「ラリーの日産」の
名声を世界中に広めました。


ラリーで大活躍した 510型 ブルーバード 1600SSS


 また、PGC10型スカイラインGT−R(通称"ハコスカ")の連勝
記録は、あまりにも有名で、根強いスカイライン人気の根幹をなして
いるといえます。

 ちなみに、この時代のGT−Rは、2000ccで、わずか160馬力で
したが、吸排気効率の高い4バルブ・エンジンと操縦性のよい車体
から、バランスのとれたレーシングカーとして高いポテンシャルを
秘めたマシンでした。


KPGC10型 スカイライン 2000GT−R


 そのほかに日産のレース・ラリーにおける、輝かしい記録は、あまり
にも多く、特に歴史に残るものをあげると、1968年第5回日本グラン
プリで、R381が総合優勝を飾りました。

 また、翌年の第6回日本グランプリではR382が総合優勝を飾って
います。

 1970年のレース・ド・ニッポンで、初代のZであるS30型フェア
レディZ432が優勝しました。

 1971年のレース・ド・ニッポンでは、S30型の240Zが1位、2位、
KPGC10型スカイラインGT−Rが3位、4位、510型ブルーバード
SSSが5位と上位を日産が独占しています。

 1973年 S30型の240Zがサファリラリー出場して総合優勝を
はたします。70年代は、「レース・ラリーの日産」のまさしく黄金時代と
いえるものでした。

 その後も、さらに多くのレース・ラリーに参戦し、好成績が続き
ました。

 1998年のル・マン24時間レースにおいては、 R390GT1で日本
人ドライバー・日本車の組み合わせにおいて史上最高位である総合
3位に輝きます。そのほかに、総合5位、6位、10位とエントリーした
4台すべてが総合10位圏内に入る大偉業を成し遂げました。


R390GT1

"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E7%94%A3%E8%87%AA
%E5%8B%95%E8%BB%8A"より成作




B10型 サニー



CSP311型 シルビア


30型 セドリック


P331型 ブルーバード


PE10型 チェリー



SR311型 フェアレディ


330型 セドリック


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フェアレディ Z


 フェアレディZ(FAIRLADY Z )は、日産が誇る日本を代表するスポーツカー
です。通称は、「Z(ゼット)」と呼ばれています。

 歴代のフェアレディZの形式とその年代は以下の通りとなります。

 ■ 初代フェアレディ Z (S30型、1969〜1978年)

フェアレディ Z432


フェアレディ 240ZG


 
■ 2代目フェアレディ Z (S130型、1978〜1983年)

 
■ 3代目フェアレディ Z (Z31型、1983〜1989年)

 
■ 4代目フェアレディ Z (Z32型、1989〜2000年)

 
 ■ 5代目フェアレディ Z (Z33型、2002年〜)


 S30型フェアレディZは、前代のオープンカーのSR311型フェアレディに
代わって登場しました。

 国内用には2種類の2000cc直列6気筒エンジンが設定され、OHCのL型と
スカイラインGT−Rと同じS20型が用意され、後者のエンジンを搭載したモデルは、
「Z432」と命名され幻の最強Zとして現在でも語り継がれています。

 「432」とは、「4バルブ・3キャブレター・2カムシャフト」の意味であり、搭載
されるS20型エンジンのハイパフォーマンスを説明するものです。

 また、競技向けにアクリル製ウィンドウ、グラスファイバーのエンジンフード採用
等の軽量化が施された「432R」もカタログモデルとして正式にラインアップされて
いました。

 アメリカではダットサン・スポーツのブランドで、2.4、2.6、2.8リットルの直6エン
ジンを搭載した「240Z」「260Z」「280Z」を発売。その後、国内でも「240Z」「240
ZG」、4人乗りの「2by 2」を追加。世界総販売台数55万台という空前の記録を樹立
しました。


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フェアレディ 240Z(輸出仕様)







輸出仕様の240Z
Yat Ming 1/18



個性的で贅肉のないサイドビュー


  
当時の日産の主力となったL型エンジン



21Kgmの大トルクにより、リヤが沈む急加速を実現


車名の由来

 フェアレディZ「FAIRLADY」は(美しいお嬢さん、貴婦人)、「Z」は最終到達地点を
意味します。

 また、初代開発スタッフに、当時のアメリカ日産の社長片山豊がZ旗を贈った
エピソードも残っています。

 アメリカ映画で有名なオードリィ・ヘップバーン主演の『マイ・フェア・レディ』に
ほれ込んだ川又社長が、田舎娘が教育を受けて貴婦人に成長する姿にたとえて、
クルマにも洗練されてゆく美しさを求めた名前といわれています。


"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E7%94%A3%E3%83%
BB%E3%83%95%E3%82%A7%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%83%87%
E3%82%A3Z"より作成



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